稲むらの火と津波対策

津波

1854年12月24日 安静南海地震

安政南海地震による大津波が広村(現在の和歌山県広川村)を襲いました。
このとき、村の郷士浜口梧陵は、暗闇の中で逃げ遅れていた村人を、収穫したばかりの稲を積み上げた「稲むら」に火を放って高台に導きました。

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内閣府防災担当ホームページ 「稲むらの火」の物語の紹介

稲むらの火と津波対策

国連防災会議に出席した小泉内閣総理大臣(当時)は、「稲むらの火
」の話を世界からの参加者に紹介し、災害についての知識や教訓を常に頭に入れておくこと、災害発生の際には迅速に判断して行動することの重要性を訴えました。

参考 内閣府防災担当ホームページより

  この紙芝居は、稲村の火に関連して、過去に作成された多くのストーリーをもとに、単に1854年の安政南海沖地震の記録にとどめず、津波の一般的常識も盛り込みながら、平成16年度に内閣府防災担当の責任のもとに監修されたものです。各場面は桜井信夫氏の文章と藤本四郎氏の絵から構成さています(全16場面)

出典 内閣府防災担当ホームページ|紙芝居「津波だ!いなむらの火をけすな」

紙芝居の絵と文章を並べて見ることが出来るファイルをダウンロードできます。

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内閣府防災担当ホームページ

津波について

一般的に言う津波は海底の比較的浅いところ(0~60km) を震源として大きな地震が発生すると、断層運動で海底の地形が変動し、その変動がそのまま海水に伝わって海面が上下することで発生します。
東日本大震災で市町村の行政機能が麻痺したいっぽう、住民自身による自助や地域コミュニティの共助が、各地の避難所運営などで重要な役割を果たしました。「自助」「共助」により、家族・地域の安全・安心を図りたいものです。

「津波てんでんこ」とは

三陸地方の言い伝えで「てんでんこ」とは「てんでばらばら」の意味。津波の恐れがあるときは、自分の身を守るためにとにかく逃げろという津波避難の標語。助けに行きたい家族などはそれぞれがきちんと避難していると信じて、自らの避難行動を優先しろ、という極限状態での意思決定を促す狙いがあります。

「危ないから行かないで」と母に止められる~3日後に父と再会、「てんでんこ」の意味実感

(釜石市 震災当時小学4年 男子)

授業を受けている途中に地震が来て、いつも避難訓練でやっているように机の下にもぐり、揺れがおさまるのを待ちました。
それから、先生に「避難するぞ!」って言われて、避難場所となっていた近くの高校へ避難しました。
後から母さんが来たけど、「父さんはまだ来ていない」と言われました。ぼくは父さんや家がどうなっているのか気になって、津波を見に行こうとしたけど、母さんに「あぶないから行かないで!」って言われてやめました。
その日は体育館の暗幕を床に敷いて、その上に毛布を敷いて寝ることになりましたが、ぼくは父さんとの連絡がとれずにいたので、あまり良く眠れませんでした。
やっと3日後に父さんが避難場所に来ました。家族がバラバラに避難してきて、なんて言うか、よく教わっていた「津波てんでんこ」だったなと思います。

「危ないから行かないで」と母に止められる~3日後に父と再会、「てんでんこ」の意味実感
内閣府防災情報のページ

まとめ 津波防災と復興

「稲むらの火」の話では、収穫した稲を燃やしても人々を救おうとしています。人命を最優先にするのは当然のことですが、これは”復興”を考える上でも重要なことです。
災害の後その地域を復興するには、住民がいなければなりません。収穫した稲を優先して、そこに住んでいる人命の被害が多ければ多いほど復興には時間がかかります。発災時の初動対応が、その後の状況に極めてに重要なります。

津波を止めることはとても難しいことですが、命を守る行動を先ずとることは復興をを考えること上でも大事なことです。

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