火災

復興

災害からの復旧と復興・3月17日 川越大火

 兵庫県南部地震は、阪神・淡路地域に未曾有の被害をもたらしました。特に、建築物の被害状況に着目すると、昔からの古い木造住宅が密集した地域において、大規模な家屋の倒壊・火災が発生しました。
 神戸市では、震災の教訓を生かして、これらの地域を防災性に優れた安全・安心でかつ快適なまちとして「復興」していくこととし、特に被害程度が大きく、かつ、道路・公園の整備などにより、都市機能の更新を図るべき区域において、建築基準法第84条に基づく建築制限を6地区(約233ha)に適用し、地震発生から2ヵ月の間、無秩序な建築行為を制限しました。そして、この建築制限の切れる1995年(平成7年)3月17日に、土地区画整理事業(124.6ha)と、市街地再開発事業(25.9ha)の都市計画決定を行いました。
火災

復旧と復興について考えてみる・3月14日 茨城・石岡大火

大火と復興 1929年(昭和4年)3月14日 茨城・石岡大火 茨城県石岡市の中心部である、中町より出火した。
火災

都市防災について考えてみる・3月2~3日 明暦の大火

江戸の大火 1657年3月2~3日 明暦の大火 明暦3年(1657)正月18日(1657年3月2~3日)本郷丸山本妙寺から出火し、翌19日には小石川伝通院前と麹町からも出火。3件の出火によって江戸城本丸、ニノ丸、三ノ丸はじめ武家邸500余、寺社300余、倉庫9,000余、橋梁61を焼失、死者10万余人ともいわれ、江戸の町の大半が焦土となったほどの大惨事でした。
火災

火除地として誕生「広小路通」・2月24日~25日(万治3年1月14日~15日) 名古屋万治3年の大火

名古屋のメインストリート「広小路通」は火除地 1660年2月24日~25日(万治3年1月14日~15日) 名古屋万治3年の大火 片端筋(名古屋城外堀の南側、現在の外堀通)の本町付近から出火し、名古屋城の南側に位置していた城下町は、その多くが焼け落ちました。特に碁盤割の東半分では焼失を免れた家屋はほとんどなく、焼失家屋は町屋2,247軒、武家屋敷120軒に及んだといわれています。
火災

密集地域では延焼による火災に注意・2月20日 能代大火

大規模火災と防火対策 1949年(昭和24年)2月20日 能代大火 秋田県能代市浜通町で火災が発生し、市街地の多くが消失、この大火は「能代大火」と呼ばれています。 GoogleMap|秋田県能代市浜通町 強く吹いていた西風の影響で火の手が広...
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災害と標準化について考えてみる・2月7日 アメリカ・ボルチモア大火

ホースの規格が異なり、応援に来た消防隊がホースと消火栓を接続できなかった 1904年(明治37年)2月7日 アメリカ・ボルチモア大火 アメリカ東部ボルチモアの市街地で火災が発生。ワシントンやニューヨークなど近隣の大都市から消防隊が駆けつけるも消火は難航し、36時間にわたって延焼、1,500棟以上の家屋が焼失しました。
火災

火災の防止には放火対策も大事・1月25日(天和2年12月28日)天和の大火

「お七火事」出火原因は放火 1683年1月25日(天和2年12月28日) 天和の大火 江戸駒込(現在の東京都文京区向ケ丘)の大円寺から出火し、この火災にまつわる話を井原西鶴が取り上げて「好色五人女」を著し、その登場人物で八百屋の娘お七の名を取り「お七火事」とも称され、広く伝わる火災となりました。
火災

初期消火を心得ておこう・1月15日 静岡大火

火災は自らの力で防げる災害 1940年(昭和15年)1月15日 静岡大火 静岡市中心部の民家から火災が発生し、乾燥と折からの強風にあおられ飛び火し、十数か所で火の手があがり、その後15時間にわたり市内中心部を焼き尽くしました。
火災

風の強い日は、火災に注意・1月11日 伊豆大島・元町大火

地区の約7割が焼失 1965年(昭和40年)1月11日 伊豆大島・元町大火 役場などがある東京都の伊豆大島最大の集落である元町地区で火災が発生、火災は、最大瞬間風速36.2m/sの強風下で延焼拡大し、翌12日7時前までに鎮火しました。
火災

先人からのメッセージを考える・12月22日 新潟県糸魚川市で大規模火災

過去から学び これからに備える 2016年(平成28年)12月22日 新潟県糸魚川市で大規模火災 JR糸魚川駅近くの飲食店から出火、強い南風にあおられて市街地の複数の住宅に飛び火して市街地の広範囲が焼失しました。