大火による市街地再編
1708年4月28日(宝永5年3月8日) 京都・宝永大火

京都で宝永の大火が発生しました。この火災で、禁裏御所をはじめとする中心部の広範囲に及ぶ14,000棟以上の家屋が焼失しました。
復興にあたっては、防火能力を高めるべく御所周辺の公家町を拡張、これに伴い町屋や寺院群をこれまで農地が広がっていた鴨川の東岸に移転させるなど、現在の京都につながる大規模な市街地再編が実施されました。
「新」のつく通り名
御池通で鴨川を渡ると「新堺町通」「新高倉通」など「新」のつく通りが多くみられますが、これは京都御所周辺にあった民家がこの火災を機に移転し、以前の居住地に因んで付けられたものです。
参照 京都市ホームページ|宝永の大火

大火と都市計画
江戸時代、京都では火災が頻発し、都市の広大な市街地を繰り返し焼き払った史実があります。
宝永の大火を機に、京都市内の町割りが改められ、幅員の広い道路が整備されました。また、京都市内には、消火用水路である「堀川」が整備され、消火活動に役立てられました。
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