災害からの復旧と復興・3月17日 川越大火

復興

大火から生まれた街並み

1893年(明治26年)3月17日 川越大火

埼玉県川越市の中心部で川越大火と呼ばれる大きな火災が発生しました。乾燥と折からの強風により瞬く間に延焼地域が拡大し、当時の川越市の全戸数3,315戸のうち、1,302戸を焼失、川越の市街地のシンボルである時の鐘も焼けるなどの被害が出ました。
火災後、焼失を免れた蔵造りの建物の耐火性に着目し、蔵造りの建物が立ち並ぶ街並みが整備され、現在では観光名所となっています。

蔵造りの街並み

川越に蔵造りの町並みが形成される契機となったのは、明治26年の大火です。この未曾有の大火災は、川越商人たちの防火対策への意識の変革をもたらしました。川越商人は江戸時代以来、新河岸川の舟運などによる江戸との商いで富の蓄積があり、復興のための財力は十分にあったようですが、同じ惨事を繰り返さないよう、建物そのものを防火建築にすることを考えました。
出典 川越市蔵造資料館ホームページ

復旧と復興による街並み

大火後、焼失を免れた数軒の蔵造り建物や東京の日本橋界隈の商家を参考にして、防火構造の蔵造りで再建する動きが起こりました。

川越市ホームページ|時の鐘

川越にある蔵造りの中では最も古いものは大沢家住宅という国の重要文化財で、後の川越の商家建築に大きな影響を与えたと言われています。川越の蔵造りは赤レンガや黒漆喰をふんだんに用いており、その色調が特徴的です。

大火の歴史と街づくり

川越市立博物館|博物館だより

町の復興にあたっては、東京の蔵造りなどを参考にしながら先を争うように蔵造りの建設にとりかかりました。こうして川越は、明治 26 年から明治 30 年代にかけて蔵造りの町並みが形成され、それ以前の町並みを一変してしまいました。大火が都市に与えた影響の大きさを伺うことができます。
出典 川越市立博物館|博物館だより

復興まちづくりの取り組み

広辞苑によれば、“復興”とは「ふたたび盛んになること」と定義され、“復旧”とは「もと通りになること」とされています。まさに、復旧は被災の影響を「ゼロ」に戻していく過程であり、復興は被災前の状態より「プラス」の状態をつくり出していくものだといえます。
出典 復興の教科書

復興まちづくりの取り組み(神戸市)

 兵庫県南部地震は、阪神・淡路地域に未曾有の被害をもたらしました。特に、建築物の被害状況に着目すると、昔からの古い木造住宅が密集した地域において、大規模な家屋の倒壊・火災が発生しました。

神戸市では、震災の教訓を生かして、これらの地域を防災性に優れた安全・安心でかつ快適なまちとして「復興」していくこととし、

特に被害程度が大きく、かつ、道路・公園の整備などにより、都市機能の更新を図るべき区域において、建築基準法第84条に基づく建築制限を6地区(約233ha)に適用し、地震発生から2ヵ月の間、無秩序な建築行為を制限しました。そして、この建築制限の切れる1995年(平成7年)3月17日に、土地区画整理事業(124.6ha)と、市街地再開発事業(25.9ha)の都市計画決定を行いました。

出典 神戸市 復興まちづくりの取り組み

神戸市 復興まちづくりの取り組み

復興まちづくり(東京都)

東京は、首都直下地震や南海トラフ地震など、大規模災害のリスクに直面しています。
東京都は、関東大震災の復興にあたった先人たちの精神を受け継ぎ、徹底した防災対策を加速させ、100年先の未来を見据えた「防災都市づくりのレベルアップ」を図っていきます。
出典 東京都都市整備局|復興まちづくり

東京都都市整備局

まとめにかえて

復興はもとに戻すだけではなく再び盛んになることを目指して取り組むことと言えます。被災した自治体ではそれぞれ復興の取り組みが行われています。
そして企業や団体も復興に取り組んでいます。地域によって復興への様々な取り組みを知っておくことは、いざ自分が復興に係ることになった時に有益です。

産業復興事例集(岩手・宮城・福島)

復興庁のWebサイト「産業復興事例集」は、東日本大震災の被災地である岩手・宮城・福島の企業や団体による、さまざまな挑戦を紹介する事例集。苦境を乗り越え、ビジネスを持続的に成長させるためのヒントが詰まっています。
出典 復興庁|産業復興事例

復興庁|産業復興事例