大火とリンゴ並木
1947年(昭和22年)4月20日 飯田大火
長野県飯田市で飯田大火が発生した。市街地の一角で発生した火災は強風と乾燥した空気により燃え広がり、焼損面積は市街地の4分の3に相当する600,000平方メートルに及ぶ大火となりました。

リンゴ並木と復興の取り組み
復興に当たっては、防火帯となる道路を建設して市内中心部を4分割するとともに、この道路中央の緑地帯に地元の中学校によってリンゴ並木が整備され、現在も街のシンボルとなっている。
参照 TEAM防災ジャパン

復興と地域
飯田大火の復興の取り組みは、飯田市立飯田東中学校の生徒たちが提案して作ったりんご並木の他にもあります。
防火帯や避難経路として整備された裏界線。市街地の中心部にある路地で、飯田大火の記念碑もあります。
裏界線とは
裏界線(りかいせん)は、長野県飯田市の中心市街地に設けられた路地になります。
飯田大火の際に避難路などがなかった反省から、復興事業として防火帯や避難経路の役割を持つ裏界線が整備されました。

まとめにかえて
防災は災害が起こる前に備える事前の準備、発災時の命と身の安全を守る行動、そして事後の復旧、復興による日常の生活を取り戻すまでを一つの取り組みと考えられます。
今いる地域や街並みは、過去にあった災害の復興の結果とも言えます。普通の並木道や路地が過去の人たちの努力とメッセージだとすれば、それを受け取ることは防災に取り組む時に有益なことです。
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