富士山、最古の噴火記録

火山

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781年7月31日(天応元年7月6日)富士山で最古の噴火記録

『続日本紀』に、富士山の噴火に伴う降灰の記録が残っています。噴火の規模などの詳細は不明ですが、これが富士山における最古の噴火の記録となっています。
参照 気象庁|富士山 有史以降の火山活動

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出典 内閣府防災情報のページ|災害史に学ぶ

自然災害は、人間の営みに比べると、はるかに長いサイクルで発生します。規模の大きな災害ほどそれが発生した場合に、国民の多くはそれを初めて経験することになります。
出典 内閣府防災情報のページ|災害史に学ぶ

幕府のすばやい初動対応

富士山は、10万年ほど前に誕生した火山で、信頼すべき歴史記録が残る噴火が10回 あります。中でも江戸時代の1707(宝永四)年に起きた宝永噴火は、近世の江戸近郊 で起きた大規模噴火であったため、情報量が圧倒的に豊富です。

出典 内閣府防災情報のページ|災害史に学ぶ

宝永噴火に対して、幕府はすばやい初動対応を見せました。噴火初日の1707(宝永四) 年12月16日に爆発的噴火にともなう空振と降灰に襲われた江戸では、何が起きたのか 理解できない多くの人々が恐怖におののきました。
しかし、翌17日朝に江戸から富士山が 遠望できたことから、知識人の間で富士山の山焼け(噴火)が原因との認識が広まりまし た。また、同日の夕刻に東海道吉原蓿(現静岡県富士市)からの注進状が届き、その内 容からも富士山の噴火が確信されるに至ったようです。
出典 内閣府防災情報のページ|災害史に学ぶ

災害対応を伝える

富士山の噴火に対して、幕府は知識人からその知見をもとにばやい初動対応をしています。
何が起きたのか 理解できない多くの人々に、情報と的確な対応をしています。これは今日の災害対応、防災の取り組みに通じるものです。

火山災害対応から いま伝えたいこと

国や地方公共団体等で実際に火山災害対応の主導的な役割を担った経験のある火山防災エキスパートの方に、当時の火山災害対応経験から感じた課題・教訓、経験を踏まえた火山災害の軽減に向けた取組み、火山地域の地方公共団体職員等に伝えたいことに関する講話を頂き、映像資料を作成しました。
出典 内閣府防災情報のページ|火山防災に関する普及啓発映像資料につい

火山防災エキスパート講話集

噴火災害に備える 伊豆東部火山群・富士山での防災活動

まとめにかえて

富士山は1000年以上まえから噴火を繰り返しており、当時の社会でもどうしていいか分からない人たちに、その対応を伝えようとしています。
今、富士山が噴火したらどうするかを考えておくことは、防災取り組む上で有益なことです。