10月29日 山形・酒田大火 延焼対策を考えてみる

酒田大火 火災

強風で飛び火が発生

1976年(昭和51年)10月29日 山形・酒田大火

出典 酒田市

山形県酒田市で酒田大火が発生した。17時40分頃、繁華街の映画館で発生した火災は、発達した低気圧による西寄りの強風も加わり市街地に延焼し、地上6階建ての大沼デパートも焼失しました。翌30日になって、みぞれ混じりの雨によって火勢が弱まり30日5時に鎮火した。この火災で、1人が死亡、1,003人が負傷し、焼損家屋は1,774棟に及びました。

復興にあたり、商店街はアーケードに代わって、商店の2階部分を通りにせり出してアーケード代わりとするセットバック方式が採用され、これに加えて緑地帯も整備する独特の形態となりました。

強風で飛び火が発生

 10月29日午後5時40分、酒田市中町2丁目の映画館のポイラー室から火の手が上がりました。
観客20名は無事に避難しましたが、13分後に消防車が現場に到着した時には、風速12メ-トルを超える西北西の強風に煽られて吹き出した火焔が、またたく間に隣接の木造家屋なとに燃え広がっていました。そして、強風により発生した大量の飛び火が、中町地区の商店街を襲います。

出典 内閣府防災情報のページ|災害を語り継ぐ

延焼を免れた本間家旧本邸

延焼を免れた本間家旧本邸

出典 酒田市|酒田大火 40 年―つなぐ、炎の記憶―

本間家旧本邸は、今回の大火て延焼境界線のきりきりに位置していたが、延焼を免れている。
外側はぐるりと土塀で囲まれており、塀の内側は母屋を取り巻くように土蔵などの耐火建物を配置している。

大火当日に吹いた西北からの強風に対し、風上側に塀、次にそれより背が高い土蔵、次にさらに背が高いタブノキ、そしてそれらの風下に母屋という位置関係になっていた。塀・土蔵・樹木は階段状に並び、火の粉を上に吹き上げてプロックした。また、この常緑のタブノキの葉 1枚 1 枚が火の粉を受け止め、最終防御の役割を果たしたのである。

出典 酒田市|酒田大火 40 年―つなぐ、炎の記憶―

出典 酒田市|酒田大火 40 年―つなぐ、炎の記憶―

災害からの教訓

酒田大火は単純に西風に煽られて延焼したのではなく、延焼する場所と状況によって大きくその様子を変化させました。また、短期間で集中的に復興事業が行われた酒田市の経験は大変貴重なものと
なりました。これらの経験は災害教訓として生かされ、酒田大火以後、震災により発生した火災を除けば、酒田だけでなく日本国内において大規模な都市火災、都市大火は発生していません。
出典 内閣府|災害史に学ぶ|1976 酒田の大火

まとめにかえて

火災は密集地域では延焼のリスクがあります。密集地域に住んでいた場合、火災から身を守ることを考え、素早く避難できるよう非常持ち出しなど準備や心構えをしておくことが大事です。

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