1991年6月3日、長崎県・雲仙普賢岳で発生した大規模な火砕流は、多くの尊い命を奪い、火山災害の恐ろしさを私たちに突きつけました。この出来事は、「ただちに避難する」という行動の背後に、どれほどの心構えと知識が必要なのかを改めて教えてくれます。火山と共に生きる私たちにとって、防災の第一歩は、「自分も被災するかもしれない」と日頃から想像することにあるのです。
大規模火砕流の発生
1991年(平成3年)6月3日 雲仙普賢岳で大規模火砕流
長崎県の雲仙岳(普賢岳)で大規模な火砕流が発生しました。
前年の1990年(平成2年)から始まった噴火活動がこの年になって活発化し、5月には地獄跡火口に溶岩ドームが形成され、この溶岩ドームの崩落による火砕流が頻発していました。

心構えといち早い避難
“危険と分かって近づいたのか” 雲仙普賢岳 火砕流災害の教訓
1991年6月3日、雲仙普賢岳で発生した火砕流によって43人が犠牲になりました。
報道関係者16人、消防団員12人、一般人6人、タクシー運転手4人、火山研究者3人、警察官2人です(内閣府防災まとめ)。
消防団員や警察官は取材者に警戒を呼びかける中で、タクシーの運転手は取材者に同行する中で、巻き込まれました。
出典 NHK|災害列島 命を守る情報サイト

”危機感が全然なかった”
噴火ではいち早い避難がなにより重要です。それには日頃から火山による災害をどれ程我が事として考えられるかがポイントです。
雲仙岳噴火(平成2年11月~平成8年6月)
必要だった火山の知識
~噴火後からでも学習を~
(長崎市 40代 女性)記者としてほんとうに悔しいのは、平成3年の6月3日に大火砕流 ※ が発生して、多くの方が犠牲になるまで、私自身、恐いと思ったこともないし、危機感が全然なかったということなんですね。
実は、その数日前に、大学の先生に、「記者さん、マスコミが今いるあの場所は、もうほんとうに危ないよ」と言われたんです。そんなにきつい調子ではないけれど、「ほんとうに危ないから、下がりなさい」と。
その「危ない」という言葉を、「そこにいたら死ぬんだ」というふうに置きかえて理解できなかったのは、火山に関する基礎的な知識が不足していたからだと思います。平成2年の噴火以来、あれだけ時間があったのに、私たちは火山のことを勉強していなかったのです。
今なら、噴火前の煙があがっているだけの状態であっても、先生の忠告に耳をかたむけることができる、そんな気がします。
※火砕流は、高熱の火山岩塊、火山灰、軽石などが高温の火山ガスとともに山の斜面を流れ下る現象で、流下速度は時速100キロメートルを超えることもあります。もに山の斜面を流れ下る現象で、流下速度は時速100キロメートルを超えることもあります。
出典 内閣府防災情報のページ|一日前プロジェクトより
目の前に火山があり、噴火を見ていたとしても心構えがないと、行動には移せません。知識があるだけでは十分ではなく、まず、災害を我が事として事前にどれだけ想像できるかが防災の始まりです。
火山防災エキスパート講話集
「火山災害対応から いま伝えたいこと」
火山防災エキスパート講話集「雲仙普賢岳噴火を振り返って」(杉本 伸一 委員)
出典 内閣府共通ストリーミング
まとめにかえて
災害を自分事と考え、早めの対応が命を守る行動のためには大事です。災害の危険性を十分に理解し、早めの避難の為には、早めの心構えを持つことが重要です。
