災害に強いまちをつくる

地震

大震災からの復興

1925年(大正14年)5月23日 北但馬地震

兵庫県北部の円山川河口付近を震源とするマグニチュード6.8の北但馬地震が発生し、兵庫県豊岡市で震度6を観測しました。震源に近い兵庫県北部(但馬地方)を中心に被害が大きく、428人が死亡、家屋の全壊は1,295棟にのぼりました。

出典 内閣府防災情報のページ北但大震災によって町のほとんどが焼失した城崎温泉。(写真提供: 豊岡市)

また、地震の発生が昼食時に重なったことから、各地で火災が発生、豊岡や城崎の市街地では火災により広範囲が焼失、焼失家屋は2,180棟に及びました。

北但大震災からの復興

出典 内閣府防災情報のページ

地震をきっかけに、城崎温泉では災害に強いまちづくりが進められました。
火災の延焼を防ぐため、道路を拡幅し、外湯、町役場、警察署などの建物を鉄筋コンクリート造りで再建しました。
また、大雨で度々氾濫していた大谿川の川幅も広げられています。川には鉄筋コンクリート造りの橋が5つ架けられ、護岸は地元の洞窟「玄武洞」で採掘された玄武岩で固められました。

こうした復興事業によって、地震前と変わらぬ風情のある町並みが作られたのです。
出典 内閣府防災情報のページ

災害に強いまちづくり

災害に強いまちとは、住宅の耐震化や不燃化が進み、まちの基盤である街路を救急車や消防車がいつでも活動できるように整備し、地域の人々が活動するための公園・広場が確保され、緑化され、貯水槽など防災設備が整備されているようなまちですが、しかしそれだけでは万全ではありません。

出典 内閣府防災情報のページ|4 防災コミュニティ合同の防災訓練(写真提供:夢野地区4 防災福祉コミュニティ)

阪神・淡路大震災でも、最も多くの被災者を壊れた住宅から救出したのは地域の人々です。被災後の生活でも支えあい、助け合ったのは地域の人々でした。

 災害に強いまちとは、街の施設や環境が安全で快適に整備されていることと同時に、地域の人々が助け合える(共助できる)ような関係が構築されていることが不可欠です。
出典 内閣府防災情報のページ

災害に強い「まち」、強い「くに」とは

その1 災害のことをみんな知っている?

出典 首相官邸ホームページ||「 防災まちづくり・くにづく」学習ワークブック

災害に強い「まち」「くに」をつくるためには、みんなが「災害があることを知ること」「災害が起こったら、どうなるのかをイメージすること」が必要。これができれば、まずは誰でも、「逃げること」自助 ができるようになります。

その2 「危険な所」から「安全な所」に いろいろなモノが「移されて」いる

出典 首相官邸ホームページ|「 防災まちづくり・くにづく」学習ワークブック

まず、「危険な場所」がどこかを考えます。そしてその危険な場所にあるいろいろなものを、できるだけ「安全な場所」に移していきます。これができれば「まち」も「くに」も災害に強くなります。

その3 助けてくれる人がいる

出典 首相官邸ホームページ|「 防災まちづくり・くにづく」学習ワークブック

災害が起こったとき、「助けてくれる人」がいれば多くの命が助かり、復旧・復興も早く進みます。消防、警察、自衛隊、そして、役所や建設業の人達、さらには「近隣との助け合い」がとても大切です。
ただし──なんと言っても「自分の身は自分で守る」ことの大切さを忘れてはなりません。

出典 内閣官房国土強靱化推進室

まとめにかえて

災害に強いまち、くにをつくるためには、どうしたらいいのかを、それぞれの人の立場で考えることが必要です。
お父さん・お母さん、学校の先生、体の不自由な人、高齢者などいろいろな地域の人たちや会社、役所、政治家の人たち、そして、私たち全員が「強いまち・くにを作るためにはどうすればいいのか?」を考え、話し合い、いろんな取り組みを進め、時に訓練を重ねていくことが何よりも大切です。

出典 首相官邸ホームページ|「 防災まちづくり・くにづく」学習ワークブック

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