山体崩壊と津波
1792年5月21日(寛政4年4月1日) 雲仙岳・眉山大崩壊「島原大変肥後迷惑」
長崎県島原市の西にそびえる眉山が地震とともに大崩壊しました。
雲仙岳では、これに先立って山頂付近の地獄跡火口からの噴火活動が続いていましたが、この地震で山麓にあった眉山が大崩壊し、大量の土砂が有明海に流れ込み、島原半島と対岸の肥後、天草(熊本県)に津波となって押し寄せました。
島原大変肥後迷惑
「島原大変肥後迷惑」とは、肥前国島原(現在の長崎県)で発生した雲仙岳の火山性地震およびその後の眉山の山体崩壊(島原大変)と、それに起因する津波が島原や対岸の肥後国(現在の熊本県)を襲ったことによる災害です。
この災害は、当時の人々にとって大変な迷惑であったため、「島原大変肥後迷惑」と呼ばれるようになりました。
足りなかった心構え
噴火や津波は頻繁に起こるとは限らず、発生しても次に起こるのが何世代も先になる場合があります。また度々発生する災害に慣れて、備えの心構えが後回しになることもあります。
慣れて余裕の溶岩見物 混雑のため怪我人も
流れる溶岩の様子を人々は見晴らしの良いろぎ山(表記は色々で魯木山・櫓木山・呂木山・路木山・ロギ山などがある)で見物していました。粘性の高い溶岩は、岩塊となって崩落し、激突して花火を散らし、壮大な光景を見せながら、ゆっくりと流れました。見物人相手の茶屋や酒屋が設けられると、三味線まで繰り出し、昼夜を分かたぬ賑わいとなりました。中には泥酔して怪我をする人もいました。
藩庁では、噴火開始後から現地踏査をほぼ毎日のように行い、噴火活動の状況に応じて人々の溶岩見物に危険が伴うと判断するたびに警戒のお触れを出しました。
出典 国土交通省九州地方整備局|島原大変
自宅から火砕流見物
雲仙岳噴火(平成2年11月~平成8年6月)
足りなかった心構え
~自宅から火砕流 ※ 見物~(島原市 70代 女性)
実は、火山の知識のある息子から、「そろそろあぶないから、お母さんたちは逃げる用意をしときなさい」って言われていたんですよ。「家族と東京に行くから、避難するときは長崎の家を使っていいよ」とカギまで送ってよこしてね。
でも、わたしは、「何を言っているの?」と、耳を貸しませんでした。火砕流のほんとうの恐ろしさを、想像することもできなかったのです。
参照 内閣府防災情報のページ
まとめにかえて
防災の心構えとして、”他人ごとではなく自分事にする”ということがあります。対岸の火事や他県の火山噴火を自分事と考えるのには想像力が必要になります。
すべての災害の被害を想定して、それらを自分事とするのは難しいことかもしれません。
噴火を繰り返す火山も、災害の度に対応をしてその後の復興や治山を繰り返すことで、その地域の自然の一部となるのかもしれません。自分事にするということは、そうしたことの積み重ねの結果とも思えます。
「対岸の火事」でなく「他山の石」の気持ちを持つ
ことわざ「対岸の火事」の意味は、「自分にはまったく影響がなく、痛くもかゆくもないできごとのたとえ。」である。
ことわざ「他山の石」の意味は、「自分にとって参考になり役に立つ、自分とは関係のないところで起こった事柄のたとえ。また、他人の言動を手本として、自分のために役立てることのたとえ。」である。
つまり「他山の石」の気持ちとは、新聞やテレビなどで災害や事故などを知った時は、それらの原因を参考として、自分の安全確保の知識・技術を高めるように意識することである。決して「対岸の火事」のように、他人事のようにそれらの情報を扱わないようにすることが必要である。
「他山の石」の気持ちとは、災害や事故の原因を参考として、自分の安全確保の知識・技術を高めるように意識することである。
出典 熊本大学環境安全センター