地震があったら津波からの避難も忘れずに・6月15日 明治三陸地震

地震
記事内に広告が含まれています。

地震と津波

1896年(明治29年)6月15日 明治三陸地震

内閣府防災情報のページ|報告書(1896 明治三陸地震津波)

マグニチュード8.2の明治三陸地震が発生した。
地震の揺れに伴う被害はありませんでしたが、発生から約30分後に三陸沿岸に大津波が来襲しました。津波の高さは綾里(岩手県大船渡市)で38m超に達し、逃げ遅れた多くの住民が死亡しました。

津波が間近に来るまで気づかず

三陸地方を襲い「歴史上第一級」とさえ言われる大津波が発生したのは、明治29年の旧暦の端午の節句の日のことでした。
明治の頃は「地震が起きたら津波に備える」という発想をする人は少なく、ましてこの時は地震がさほど強くなかったため、津波が間近に来るまで気づかず多くの命が奪われました。
出典 釜石市ホームページ

出典 釜石市ホームページ

生死を分ける迅速な避難

<教訓>
 迅速な避難が生死を分けたことに鑑み、避難の際には出来るだけ高い土地に最短距離で到達することにし、その道筋を平素から確認しておくべき。高台が付近になければビルの高層階を利用すべき。

出典 内閣府 防災情報のページ|報告書(1896 明治三陸地震津波)

生死を分ける避難の遅速

津波来襲時には迅速な避難が最良の手段である。それが出来なかったために命を落した事例はいくつもある。

(釜石市) 一旦は避難したが、自分の妻子を助けようと再び立ち戻った為、死亡した例(「南閉伊郡海嘯紀事』肥 7 頁)。
(釜石市) 老婆が一度は係を抱いて逃げ出したが、途中で家具の一つでも持ち出そうと家に帰って係ともども命を失った。同じく家人に逃げろと勧められながら、 2 階へ家財道具を運ぼうとした人が津波に巻き込まれた(「南閉伊郡海嘯紀事』140 頁)。
(釜石市) 旅宿に居たある人はいちはやく逃げ出して、一時は腰まで水に浸かったが、何とか逃げおおせた。もう一人の同僚は人り口で靴を履くのに時間がかかり、駆け出すのが 3 、4m 後となったため、津波にさらわれてしまった(『南閉伊郡海嘯紀事』に 5 頁)。

出典 出典 内閣府 防災情報のページ|報告書(1896 明治三陸地震津波)  第7章 明治三陸地震津波災害の教訓と総合的津波防災対策への示唆

1896年明治三陸地震津波 遡上シミュレーション

この動画は2004年に津波ディジタルライブラリィで公開していたものを、YouTubeでも公開したものです。
出典 Tsunami Digital Library

Tsunami Digital Library

まとめにかえて

 津波から身を守るためには心得ておくことは、一刻も早く安全な場所に避難することです。

とにかく逃げる

強い地震(震度4程度以上)を感じたとき、または弱い地震であっても長い時間ゆっくりとした揺れを感じたときは、直ちに海浜から離れ、急いで高台などの安全な場所へ避難しましょう。
出典 国土交通省

「津波からにげる」

東日本大震災を踏まえて、津波から自ら判断して避難することの大切さをアニメーションを使用し子供にも分かりやすく解説したビデオです。
出典 気象庁/JMA 津波防災啓発ビデオ「津波からにげる」

気象庁/JMA 津波防災啓発ビデオ「津波からにげる」