大火と復興
1929年(昭和4年)3月14日 茨城・石岡大火
茨城県石岡市の中心部である、中町より出火した。強風やガソリンタンクが誘爆した影響もあり、中町・守横町が全焼し、金丸町・富田町・守木町・守横町・貝地町・木之地の一部地域も燃え、合計約2,000棟が全焼、被災者約3,000人の被害が出ました。
復旧と復興
この大火は「石岡大火」と呼ばれている。火災後は目抜き通りの中町通りが拡幅され、当時東京で流行していた看板建築や、ガス灯風の街路灯やプラタナスが並ぶ、洒落た通りとして復興しました。

「石岡大火」からの復興を兼ね、アスファルト舗装された全長490m、幅15m(≒8間)の八間道路の開通式が催行されました。
復興事前準備
被災後は早期の復興まちづくりが求められますが、東日本大震災等これまでの大規模災害時には、基礎データの不足や喪失、 復興まちづくりを担う人材の不足などにより、復興に影響が生じたことがありました。
出典 国土交通省ホームページ
こうしたことから、防災・減災対策と並行して、事前に被災後の復興まちづくりを考えながら準備しておく復興事前準備※の取組を進めておくことが重要となっています。

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