地震による土石流
1858年6月8日(安政5年4月26日) 安政5年4月洪水
富山県の常願寺川で大洪水が発生しました。
この洪水をもたらした要因は同年2月26日(1858年4月9日)に発生したマグニチュード7級と言われる飛越地震です。
跡津川断層の活動によるとされるこの地震で、常願寺川の上流にある立山カルデラは鳶山崩れ(大鳶崩れ)と呼ばれる大崩壊を起こしました。
崩壊した土砂は常願寺川の上流を堰き止めていましたが、4月26日の地震(飛越地震の誘発地震とされる)を契機に決壊し、下流の富山平野に洪水と共に大量の土砂が押し寄せました。現在でも富山平野にはこの大洪水で流れ着いた巨石が残されています。
土石流による被害
当時の富山藩は被害を最小限におさえようと警戒し、避難を行っていたにもかかわらず、この土石流によって加賀藩領内だけでも140人の命が失われ、8,945名の負傷者と、おびただしい数の家屋被害が出ました。
出典 国土交通省北陸地方整備局ホームページ
まとめにかえて
土石流に対する備え方としては、土石流が発生する可能性のある場所に近づかないことが大切です。
また、土石流が発生した場合には、一番近く安全な場所に避難できるよう、避難通路及び一次避難場所を設置することが重要です。
参照 国土交通省北陸地方整備局、農林水産省
大惨事に備える避難
この地域では70年ほど前の寛政元年(1789)にも鍬崎山が崩れて常願寺川をせき止め、翌日切れて出水、その1週間後にも洪水があって大変難渋したという経験があります。そこで、28日の夜には城下のすみずみに「危険」のおふれが出され、家中の侍から町人まで山手に避難したと『地水見聞録』は伝えています。
出典 国土交通省北陸地方整備局