1660年2月24日~25日(万治3年1月14日~15日) 名古屋万治3年の大火
1660年の「万治の大火」の火災のあとに、碁盤割南端の堀切筋と呼ばれる街路の一部が、火除地として約27mの幅員に拡幅され、「広小路」と呼ばれるようになりました。
火除地(ひよけち)とは、江戸幕府が明暦の大火をきっかけに江戸に設置した防火用の空地です。
火災は建物が密集していると、その被害が大きくなってしまいます。
都市部でオープンスペースをとるために、通りを広くし延焼を食い止めようとの防災の取り組みで、 各地にある「広小路」の地名の由来となっています。
災害があったとしても、その被害を少しでも減らそうとする減災は防災とともに大事です。